広島、大阪、神戸、銀座・・・全てのエリアで業績を大ブレイクに導いた「ホットペッパー」の立役者に聞く、組織作りとは

穴沢忠さん/株式会社クリアストーン取締役社長

(プロフィール)
1964年生まれ。群馬県前橋市出身。青山学院大学卒業後、㈱リクルートに入社。就職情報誌事業部、街の生活情報事業部事業部長などを経て、シニア事業部長に。2014年、㈱クリアストーンに常務取締役として入社。現在同社の取締役社長を務める。

街で配られているクーポンマガジン「ホットペッパー」。その「ホットペッパー」を広島、大阪、神戸、銀座でマネジメントしてきたのが、当時リクルートに勤めていた穴沢忠さんである。リーダーとして自身に課していたのは厳しく、高潔であること、そして率先垂範、言動一致という信念。大きなマーケットを抱えながらも売上に悩む地域の「ホットペッパー」を立て直し、業績を上げてこられた穴沢さんに組織作りをテーマに話を伺った。DSC_0211 (2) (1)

ユーザーの冒険心をくすぐる、「ホットペッパー」誕生秘話

──「ホットペッパー」のコンセプトはどのようなものだったのですか。

穴沢:ひとことで言うとクーポンマガジンです。普通なら、もともと知っているお店か知り合いに勧められたお店に行くケースが多いですよね。クーポンというのはお店からのギフト付きお手紙のようなもので、ユーザーに「ちょっと新しい店を冒険しに行こうか」と思ってもらうのが目的です。ユーザーの冒険心を後押しするクーポンという仕組みを使ったマガジン、というのがコンセプトでした。

──「ホットペッパー」にはどういう関わり方をされていたのですか。

穴沢:実は「ホットペッパー」の前身に、「サンロクマル」という情報誌があったのですが、長い間なかなか採算が取れずにいました。それで、これまでの成功事例を集めて分析し、一から全国で出直そうとスタートさせたのが「ホットペッパー」なんです。僕はちょうどその変化のときに、広島エリアの組織長として携わりました。

──「ホットペッパー」になってスタッフの方はどのような反応を。

穴沢:広島のスタッフには「なんでこれからというときに、名前まで捨ててやり直すの?」という思いがあったようですね。報酬体系の変更なども絡む話だったので、そこを納得してもらって、スタッフがひとつになれるのか、というのが非常に難しいところでしたね。

──お客様よりスタッフのコントロールの方が苦労だったわけですね。

穴沢:でも、広島のスタッフたちとはすごく理解しあえていたと思っています。「ホットペッパー」になって大きく踏み出すのは、お客様のためでありユーザーのため。この事業を一緒に伸ばしていきたいという思いに合意してもらいました。スタッフに背景をしっかりプレゼンテーションして、理解してもらうということを徹底的に行いましたね。最後はスタッフの方から「私たちに任せて!」と言ってくれました。

おかげで、広島版「サンロクマル」の最終号、そして広島版「ホットペッパー」の第1号は対前年度の伸び率が全国1位だったんですよ。売り上げをまったく落とすことなく、爆発的に伸びたんです。

──その舵取りがうまくできた秘訣はなんだったのですか。

穴沢:「チーム」ですね。ある目的に向かって相当量のエネルギーを出すチームがそこにあったということ。広島のチームはベースが強い個の集まりだったので、それが可能だったんです。

次に、「成功する」という強い確信があったことも大きいですね。全員が「いける!」と思えたし、成功するというストーリーに対して理解をしてくれていたように思います。それと、この新しい事業を全国でやっていくという未来へのワクワク感があった。これは印象的でしたね。

広島から大阪へ。もめ事ばかりだった

──その後、大阪版の立て直しのため、広島を離れられるわけですね。

穴沢:そう。ある日、広島のメンバーとカラオケで盛り上がっていたら、事業部長から連絡があり、「行ってほしいところがある」と言われたんです。「どこですか?」「東京か大阪だ」「どっちがやばいですか?」「大阪だ」「じゃ、大阪に行きます」という調子に話が決まりました。

──“やばい”方に行ったのはなぜ。

穴沢:迷ったら難しい道を選ぶ、絶対に逃げない、と決めているんです。より苦しい道を選ぶ方が、将来的に自分の価値になるだろうという気持ちもありました。

──実際に大阪へ行ってみた印象はどうでしたか。

穴沢:大阪での風景は広島とまるで違いましたね。大阪版「ホットペッパー」の売上は対前年マイナス成長。原因はチームにありました。「なぜ、こんな変化をさせないといけないんですか?」「私たちの報酬減りますよね」「広告枠も小さくなって書けないし、お客さんからもいろいろ言われるし、やってられませんわ。」……。スタッフが未来に向けてひとつになっている広島とはまったく異なりました。

──そこからどのようにチームを立て直したのでしょうか。

穴沢:広島ではスタッフとの関係性は良好でしたが、大阪では当初もめごとばかりでマイナスから信頼関係を作っていかないとダメだった。でも、僕には広島での実績があったから、やればできると信じていました。そこでまず、20~30人いたスタッフひとりひとりとじっくり話し、ベクトルを合わせるところから始めたんです。簡単に言えば、「これからはこの方向に行く。やるの? やらないの?」と、こちらの方針を知ってもらい、その先にすごい未来が待っているということを説明しました。そうすることでひとつずつ、ひとりずつ理解してもらいましたね。

──時間や手間はかかりますが、そこから変えなければいけなかったんですね。

穴沢:その時点では、予算に対して達成しないのが当たり前な状態が続いていましたからね。もちろん、すぐによくなるとは思っていませんでした。しかし、半年後くらいに組織の業績拡大への一体感が漂い始めて、実際1年後にはぐいっと伸びましたね。僕は大阪に2年半いたのですが、2年半後には全国トップになっていましたよ。

──プレッシャーもすごかったのでは。

穴沢:当初は、スタッフは隙があらば文句を言ってくるような難しい状況で、自分にも、周囲にも常に厳格でいないといけなかったです。そういう意味では疲れましたね。

銀座での失敗。マネジメントができなかった

──マネジメントの大変なところですね。

穴沢:そのあと僕は大阪を離れ、苦戦していた銀座に行くことに。銀座が伸び悩んでいた理由としては、なんといっても銀座という街自体の敷居の高さですね。「なんで、そんなクーポンを出さないといけないの?」というお店も多く、そういうお店を苦労して担当していたスタッフのところへ、大阪版をトップにしたという鳴り物入りで関西から僕みたいなおっさんが乗りこんで来たわけですよ。銀座のスタッフにしたら「やれるもんならやってみろ」という心情だったと思いますよ。

でも、結果的に大阪時代の力強い勝ちに向けたマネジメントは銀座では実行できませんでした。原因は、僕自身が「たしかに銀座は難しい街だよな」と思ってしまったこと。「これをやれば絶対に勝てる」という強い気持ちや戦略を持てず、スタッフの今の気持ちばかりにとらわれてしまった。結果として、銀座という街も掌握できず、チームとしてなかなか一つになることができませんでしたね。

──そこでの失敗というのは、自分の中に成功のイメージが見えない、ということですか。

穴沢:そうですね。ひとりひとりを理解しようと、話したことをすべてメモして、何を考えているのか把握しようとしたのですが、壁を取り払うのは難しかったです。さらに、同じ時期に広島で問題が起きたことで2つのエリアを兼務することになり、僕が銀座にいない日が続いたんです。銀座エリアを掌握できないまま時間が過ぎ、辞職するスタッフも続出して、「まいったな」という気分でした。そこで、思い切って固定観念のない新人をどさっと入れることしたんです。一からレンガの家を造っていこうと、採用から再出発しました。

──それは大きな決断だったでしょうね。

穴沢:今いる人たちの意識を変えて一つにするには、時間や大きなきっかけが必要になります。だから、遅れをとったあの時点から僕を信じてくれる組織を作るためには、真新しい多くのメンバーを投入して、それを転機としてチームを再編する必要があった。新人の加入後、2か月ほどかけて僕の考え方も含めて直接指導していき、これまでの各エリアでやってきた基本戦略を素直にやり切っていくことに。すると、それまでのメンバーも新人を育て始め、新人たちにも火がついて業績が伸び始めたんです。次第にみんなの気持ちも雰囲気も変わってきて、気がつけばスタッフがひとつになっていましたね。信頼関係と戦略、業績が結び付いた瞬間でした。

起業を目指す人へのメッセージ

──起業を目指す人へのアドバイスをお願いします。

穴沢:僕はまず人を理解し、期待を以ってこちらの要望を伝えます。そうやって理解した相手に対し、「やれ」と命令するのではなく「一緒にやろう」と共に行動しますね。マネージメントする上で率先垂範が一番、楽だと思うんです。自分が実行すればいいだけのことですから。座ったままで「あれやれ、こうやれ」と言ったところで人は動きません。野球で言えば、監督ではなくキャプテンのイメージです。

──スタッフとの信頼関係を作って常に先頭を走るということですね。

穴沢:組織を作っていくのはトップの人間、いわば組織は自分を映した鏡です。自分と一緒に働いてくれる社内外の人たちとどこまで信頼関係が作れるか、ということだと思います。信頼関係がベースにあって、初めてビジョンと戦略が成り立つ。ビジョンや戦略があっても信頼関係がなければ、なかなか動きませんし、逆に、信頼関係があってもビジョンと戦略がガタガタだったら、これもうまくいかないと思います。組織というのは、信頼関係にビジョンと戦略が乗ったときに初めて爆発できるんだと思います。

(インタビュー・撮影/大橋博之、編集/井上こん)

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