「自分にはサッカーしかなかった」 19歳で単身イタリアへ渡った男の成功ストーリー

今野敏晃さん/株式会社グラスルーツ代表取締役社長

(プロフィール)
高校卒業後、19歳で単身イタリアへ渡り、世界的ブランドのエージェントとして広報・PRやマーケティングに従事。独立・起業後はCSR/CSVに特化したスポーツ関連企画を手掛け、スポーツコンサルタント、フットボールファシリテーター、アスリートマネジメントとしても活動。レアルマドリード財団ではリレーションシップ・ディレクターを務める。

日本とイタリアを股に掛け、サッカーをはじめとするスポーツ界の振興に貢献する今野敏晃さん。SNSのタイムラインには、世界中の著名なアスリートらと交流する写真が溢れる。19歳で日本を飛び出し、まさに「体一つ」でアグレッシブに人生を切り開いてきた今野さん。常識にとらわれることなく、信念を持って突き進む背景にはどんな思いがあるのか。「やりたいこと」を実現するために必要なことは何か。キャリアと展望を語っていただいた。

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1982年のワールドカップがすべてのきっかけ

――今野さんはサッカー界を中心に数多くの有名アスリートと関わり、マネジメントやプロモーションなどの支援を行っていますね。

今野:はい。ゴルフのジャンボ尾崎さんや野球の古田敦也さん、サッカーの楢崎正剛さんをはじめ、約100名のアスリートが所属する、大手スポーツマネジメント会社でイベントプロモーションを手掛けています。並行して、日本の子どもたちの教育にサッカーを通じて貢献する「レアルマドリード・ファンデーション・フットボールアカデミー」の運営や、個人としては国内・海外を問わず有名アスリートの支援を展開しています。

――どのようなキャリアを歩んでこられたのでしょうか?

今野:キャリアのスタートは19歳です。単身イタリアに渡って、世界的に知られるファッションブランドに勤め、日本向けのブランディングなどを担当していました。イタリア本社と日本の代理店の間に立って、方向性やメッセージを橋渡ししていく仕事です。

――大学進学の道を選ばずにイタリアへ行ったのはなぜ?

今野:高校2年生のとき、自分なりに将来を真面目に考えたのですが、大学進学に魅力を感じられなかったんです。でも、それまで辞めずに続けていたサッカーだけは自分にとって特別な存在でした。

そもそもサッカーを始めたきっかけというのが、イタリアが優勝した1982年のスペインワールドカップだったこともあり、サッカーにのめり込む機会を与えてくれたイタリアという国を、もっと深く知りたい。イタリア語も勉強したい。そう考えるようになったんですが、当時、国内でイタリア語を学べたのは、東京外語大学と大阪外語大学だけで。言葉は単なる手段でしかないのに、その習得のために難関校に挑戦して4年もかけるなんて、私にとっては現実的ではありませんでした。それよりもとりあえず現地に行ってしまおうと、2年間、NHKのラジオとテレビでイタリア語を学び、高校在学中にアルバイトで旅費を貯めて、19歳でイタリアへ飛び立ちました。
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知識も経験もない19歳が、世界的ファッションブランドのエージェントに

――周囲の「常識」に流されることなく、興味・関心を貫いたんですね。ファッションブランドで仕事をすることも、もともと決めていたのでしょうか?

今野:いえ、まったく考えていませんでした。何も分からない状態で渡り、最初はバックパッカーをしていたんです。3カ月間、イタリアをベースにいろいろな国へ行き、草サッカーに混ぜてもらったり、19歳の若造のくせにバルやカフェなどの社交場に出入りしたりして、生きたイタリア語を学びました。

――出会う人々の反応はどうでしたか?

今野:バルでは「お前はよくここに来るけど、普段は何をやっているんだ?」と、興味を持ってもらえました(笑)。イタリアだからサッカーの話をすれば会話が広がるんです。「サッカーが好きでイタリアに住みたいと思って来たけど、何をやればいいのか分からない」と正直に話していましたね。

その中で、あるブランドエージェントの社長と出会ったんです。「新しくオフィスを立ち上げるから、ウチで働かないか?」と。後で聞いた話では、何の人脈も打算もなく、裏がなさそうな人間だからこそ誘ってくれたそうです。すごくラッキーな出会いでした。

――知識もバックボーンも何もない状態で、有名ブランドの仕事に携わるようになったのですね。専門用語や知識を身に付けるだけでも、とても大変そうですが……。

今野:それはもう大変でした。ブランドの知識なんて何もなかったので、必死に勉強して、言葉から何から全て現場で覚えましたね。社長のかばん持ちとして、ハードな日々を過ごしていました。

――20代はずっとそのブランドエージェントで過ごしたのですか?

今野:23歳までそこに勤め、その後はいくつかのブランドに関わったり、イタリアの有名レストランを日本に出店したりしました。私は学歴を捨ててしまっていたし、何か資格を持っているわけでもない。独自性がないと戦えないので、「30歳になったらサッカーの仕事をするぞ」とだけ決めて、20代はイタリアのコンテンツをいかに日本に接続するかということに挑戦していました。

「中田を伝えるブログ」に反応した、1人のJリーガー

――当時から起業家気質だったのですね。サッカーに関わる仕事をするようになったきっかけとは?

今野:サッカーの仕事と一口に言っても、代理人やスポーツライターなど、その道のプロがすでに大勢いました。そんな中で自分がサッカー界に食い込むために選んだのが、ブログで発信するという方法です。29歳のとき、当時イタリアのセリエAでプレーしていた中田英寿さんに関するブログを始めました。日本の報道だけでは分からない、中田さんに対する現地のファンやマスコミの声を紹介する内容です。開始後、数カ月で読者が急増しました。

――今野さんの独自性が、多くのサッカーファンを惹き付けたのですね。

今野:そうだと思います。このブログは、私の人生を変える出会いにもつながったんです。その頃、ブログを通じて1人のJリーガーと知り合いました。当時まだ入団1年目の19歳なのに、「自分もヨーロッパで勝負したい。イタリアの話を聞かせてほしい」と。現在、日本代表の中心的存在としてセリエAでも活躍している選手です。彼との出会いがきっかけとなって、選手の“夢”を応援しながら、サッカー文化をもっと日本に根付かせていきたいと考えるようになりました。それで、サッカー選手のプロモーションやブランディングを専門とする会社を立ち上げたんです。

――具体的には、どのようなことを手掛けていたのですか?

今野:イタリアのようにサッカーが文化として根付いている国と比較すると、当時の日本のスポーツ界が取り組めていないことは結構あったんです。例えばCSR(社会貢献活動)。これが以前は弱くて、子ども向けのサッカー教室を開催しても、「有名な選手とサッカーをしました。写真を撮りました。おしまい」だったんですね。これではあまりやる意味がないんです。

そこで、サッカー教室を開催する際に、Jリーグで用具係をしている方に協力してもらったんです。用具係は、日常的に選手のユニフォームを選択したり、スパイクの手入れをしたりする大切なポジション。その人にサッカー教室へ加わってもらい、「有名選手との練習後に皆でスパイクを磨いてみよう」という企画を立てました。

プロのサッカー選手がプレーに集中できるのは、ご飯を作ってくれる人や、自宅から練習場やスタジアムへ送り迎えをしてくれる人、マッサージをしてくれる人、用具を手入れしてくれる人がいるから。これは子どもも一緒ですよね。親がいろいろと世話をしてくれるから、勉強も遊びもできる。それをリンクさせたところ、子どもは素直に受け入れてくれて、親も喜んでくれました。
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スポーツの社会的価値を高め、選手のキャリアに寄り添う

――スポーツだからこそ伝えられるメッセージですね。

今野:スポーツはシビアな世界です。Jリーガーを目指す子どもが100人いても、その中でプロになれるのは1人いるかどうか。だからこそ、スポーツを通して教育効果を生まなければ意味がないと思っています。スポーツは、所詮は娯楽。人が生きていくためには本来必要ないものなので、それが存在し続けるためには、社会にいろいろな価値を提供していかなければいけない。

スポーツを通じたCSRに特化している会社はこれまでなかったので、今はさまざまな企業・団体からご相談をいただいていますね。東日本大震災の際の、マンチェスター・ユナイテッドの被災地支援プログラムなど、思い出深い仕事もたくさん経験しました。

――「レアルマドリード・ファンデーション・フットボールアカデミー」の運営にも、そうした考えのもとで参画しているのですか?

今野:はい。企業などとの連携が必要な際に、間に入って調整する「リレーションシップ・ディレクター」として、財団の理事を務めています。レアルマドリードは世界有数のサッカークラブですが、単に優秀な選手を育てるためだけにアカデミーを運営しているのではなく、指導を通じて「子どもたちの生きる力」を育みたいという理念を持っています。そこに共感して、参加させてもらいました。

――一方で、アスリートの方々は今野さんに何を求めてタッグを組むのでしょうか?

今野:実のところ、「将来に向けて何をするべきか分からない」という人は多く、引退後にどんな仕事をしていくかはアスリートにとって難しい問題なんです。

サッカー選手や野球選手は、およそ7割が引退後も業界に残って、クラブの仕事をしたり教室を作ったりして、残りの3割は、飲食店を立ち上げたり起業したりして、自分でビジネスを展開しています。この割合をもう少し増やし、スポーツ選手のキャリアの可能性を広げていく必要があると思うんです。Jリーグにはインターン制度があって、オフシーズンにテレビ局や広告代理店、アパレル業界、外食産業など、さまざまな業界の職業を経験できるのですが、こうした取り組み以外にも、一般社会の仕事を幅広く体験し、スキルを学べるような場を作っていきたいと考えています。
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――ありがとうございます。最後に、起業や海外進出を考える若者に向けて、メッセージをお願いします。

今野:起業するなら「リスクを取る」ことを恐れてはいけないと思います。私自身は随分と早い時期に、それこそ10代のうちに行動を起こしましたが、早く動いた分だけ学べたことも多く、結果的に日本だけではなくヨーロッパのサッカー界でも仕事ができるようになりました。

一方で、相反するようですが、「リスクマネジメント」も大切だと思っています。勝てると思う勝負だけをするべき。なるべく競争相手が少ない世界に打って出て、独自性を磨いていく。自分だからこそ成功できる仕事や、やれるポジションがきっと見つかるはずです。

株式会社グラスルーツ サイト(http://www.grassroot-s.com

(インタビュー・文/多田慎介、編集/井上こん)

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